いつまでも新技術をキャッチし続けると言うことの難しさ

先日twitterで、「昔はすごいエンジニアだと思っていた人だったのに、最近の技術を信用できてなかったり、いまだに古い道具使ってる、哀れだ」みたいな投稿を見かけて、ちょっと反論したいな、思ったことについて。引いた文と言及は前後するが、それは僕が思った順番に書いているためなので勘弁して欲しい。

「いまだに古い道具を使っていて哀れだ」 → 道具至上主義に陥ってないか?

最初に思ったのがこれ。あるいはマズローの「金槌を持てば全ての問題が釘に見えてくる」ということを最初に思った。思うに「いまだに古い道具を使ってる」と言うところに反応したのだと思う。別にgit使うとsvncvs, SCCSを使ってる人より偉くなれるわけではないと思う。まぁいまだにSCCSを使っているのはさすがに想像しがたいが。

「最近の技術を信用していない」 → 最近の技術を必要としない場で一生を終えるつもりでは? / 言うほど新しい技術ってあるか?

こっちはまぁ順番に

  • 最近の技術を必要としない場で一生を終えるつもりでは?

消えろとか消えるとか言われたCOBOL はまだまだ生きてるし、これまでの野良ライブラリもあって、FORTRAN もなんとか生き延びてるらしい。「らしい」というのは、伝聞であって僕が実際に体験したことは無いからだ。なにはとまれ、一旦産まれるとなかなか消えないものというのは少なからずあるし、本人が「いまさら新しい技術を覚えるより、習得済みの技術を磨いたほうが価値を残せる」と思っている可能性もあるのかなぁ。などと思った。

  • 言うほど新しい技術ってあるか?

こりゃまぁ完全に主観だけど、僕世代から見ると、DB 技術は関係DB が親で、NoSQL というのもでてきたけど、それも関係DB からメリットを抜き出す代わりにデメリットを押し付けているものに見える。仮想化だって、実現方法の違いはあれど、メインフレーム時代からあった概念だと記憶している。価格や処理能力の点で驚いたことはあったが、技術的な面で、根幹を揺るがされるほどの衝撃を受けたことはない(僕の情報感度が鈍い可能性も否定出来ないが)。
もちろん「できたら良いな」が「できる」になったことは素晴らしいし、「できる」となったら手を出したくなるものだけど、やっぱり「習得するまでの時間」と「自分の賞味期限」を天秤に書けてしまう部分はあると思う。
あれ? 結局一つ目と同じことを言ってるのかな?


まぁとりあえず、そんなことを書き捨ててみる。僕もおっさんになって、「いつまで新しい話題についていけるか」が不安になったということか。
将来見直した時に赤面しないといいな。